459 肩痛で来院された肩以外の病気

これは実際に来院された患者のお話です。
①左肩痛で心筋梗塞
②肩痛で肺癌
③肩痛で肺癌

1、木曜日の夕方に来院された高齢女性
 左の肩痛が治らないと来院されました。診察させていただいましたが、上肢を上に上げたり、動かしても痛みがあまり変わりません


聞くところによると、安静時にも疼痛があります。胸の痛みも少しあるけれども、あまり気にならないと言われていました。レントゲン検査でも左肩関節の軽度の変形が認められる程度でひどい痛みを起こすような所見はありませんでした。
 あまりにも肩関節の所見がなく、痛みの出方も肩関節によるものとは考えにくかった為、心電図検査を行いました(整形外科でも心電図検査します)。
結果は心筋梗塞の疑い濃厚ってか、心筋梗塞そのもの
 すぐに、近所の循環器内科に受診するように勧めました。ところが、びっくりの受診拒否

「え、なぜですか?」と聞くと、翌日の金曜日に宮崎に焼酎巡りツアーに行く予定だからと言われました。

 有無を言わせずに、患者さんの横で診察室の電話から循環器内科の先生に電話して
「患者さんを送りますのですぐに診察してください」とお願いして、患者さんを無理やり受診させました
患者さんは結構嫌がっていましたが、渋々、言う事を聞いてくれて受診に行かれました。
その数十分後、循環器の先生から電話です。
心筋梗塞になったばかりだから、すぐにカテーテル手術をすればかなり良い状態に持っていける。今から済生会病院に行ってもらって緊急手術になる。」と連絡がありました。

手術は成功して、事なきを得ました。後からご家族に聞くと、3本ある心臓の冠動脈のうち一本はすでに閉塞、今回は2本目が閉塞しかけてて症状が出ていたそうです。
手術していなければ、危なかったと言われたそうです。

2、鎮痛剤が全然効かなかった右肩痛
 その方は、以前より少し肩痛があったそうですが、最近肩関節が強くなってきたと来院されました。確かに肩関節周囲炎の症状もあるのですが、肩関節周辺の疼痛が強い様でした。そのため、消炎鎮痛剤を1週間ほど内服してもらって様子を見ましょうとなりました。レントゲン検査では異常は無いようでした。
 1週間もせずに痛みが強くてどうにかできないかと来院されました。
レントゲンを見直しても、やはりはっきりした所見はないのですが、肺の上部の先端部が少しぼやけている様に見えました

 肩痛を起こす、癌で生じる有名なものとしてパンコースト症候群があります。肺尖部腫瘍です。初期には症状があまり明確でなく、腫瘍が進行して神経まで達すると強い痛みやその他の神経症状が出現します。
https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/series/yamanaka/201611/549069_2.html
 この方にもパンコースト症候群を疑って、腫瘍マーカーの検査と大学病院紹介の準備をしました。
結果は、肺腫瘍マーカーが高値を示しており、すぐに大学病院を受診してもらいました。
やはり、パンコースト症候群です。大学病院では癌末期であること、余命1年あるかわからないと言われたそうです。その後、放射線療法、抗がん剤治療を行ったそうです。余命は1年以上でしたが、鬼籍に入られました。

3、右側胸部から右肩にかけて急に軽い痛みが出て、安静時にも痛んだ。
 私の恩師の元教授です。名古屋におられたのですが、自宅は福岡のままなので、時々当院に顔を見せて頂いておりました。「ここ数週間、右側胸部から右肩にかけて痛みがある。ちょっと診てくれんか」と言われて検査と診察を始めました。
 レントゲン検査にてすぐに肺野に直径4cmほどの腫瘤がある事を見つけました。
形から、癌の疑いが濃厚です。恩師には、名古屋に帰られたら、すぐに大学病院に受診されるようにお願い致しました。受診先では、細胞をとって病理検査を行い、癌の中でも抗がん剤が有効な癌と聞かれたそうです。
 その後、福岡によく帰って来られてたのですが、癌を見つけて3週間後、再び、恩師が来院されました。左の側腹部に粉瘤ができたので切除して欲しいと言われました。右肺野に癌がありますが、左側腹部だし、診察で典型的な粉瘤の様に見えたので、その粉瘤疑いの軟部腫瘍を一塊にして切除していました。癌があるので用心のために正常な組織で覆った状態で切除しています。術後の皮膚の状態も良好でした。名古屋に帰るとの事、恩師の弟子のところで抜糸してくださいと言ってお別れしました。
 病理組織検査結果を見た時、とても辛くて、先生に何て伝えたらいいだろうか?と悩みました。
執刀した医師が病理検査を伝えるのも義務です。これほど、説明する事に苦痛を伴うことはありませんでした。ただ、転移癌である事を先生に説明すると「わかった」と言われて、電話を切りました。これが恩師と話した最後の会話でした。恩師に癌の専門家でもない私が、なぜ転移癌の申告をしなければならないのだろうかと、とても辛かったです。結果は、転移癌でコメントには「原発巣の検索をお勧めします。」と記載されていました。
 1ヶ月ほどして、福岡に帰って来られた時には歩行にも支障が出るほどでした。福岡の自宅におられる時に倒れられ、以前務めておられた大学病院に緊急入院。私は奥様から電話を頂き、ICUに行きました。この時にはお話できる状態ではありませんでした。その後、鬼籍に入られました。先生は静かに逝きたいと言われていました。ご家族もご希望されませんでしたの、知り合いの医師や周り知人に言わないようにしていました。今も先生を知る医師には言っていません。
 解剖学で下垂体の専門家蕎麦打ち名人プログラマー、下戸、いろんな得意技を持っている先生でした。

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